透明フラスコ事件

PROLOGUE

プロローグ画像

はじまり
???

 私の体は一本のフラスコ。透明で何もない。でも本当は見えないだけなの。貴方には。

 心の目を開いて見て。そうすれば見えてくるわ。涙が溢れるほどの真実が。


CASE001-01

柊鬼警察署

蓮臥峰高校怪死事件
07/01
07:15

 柊鬼区。東京都に存在する25区目の区にあたる場所だ。小さな区だが住民はそれなりに多く、福利厚生も良いためベッドタウンとしてそこそこの人気を博している。しかしこの区にはひとつ、良からぬ噂があった。怪奇事件や猟奇事件が多いというのだ。
 真偽のほどは定かでないが、どこの都市でも警察署が忙しいのは変わらない。今日も朝から柊鬼署は人で賑わっていた。そんな中、かつかつと廊下をまっすぐ進んでいく足音がある。そのヒールの足音は柊鬼署刑事課の前で止まり、勢いよく扉を開けた。
「おはようございます!」
 諸角麻衣。まだ26歳の新人刑事だ。刑事課に配属されてから日が浅く、いまだに交番勤務の癖が抜け切れていない。署内の勝手にも不慣れなせいか、またどこか何もない所でこけてきたようで片膝のストッキングが伝線している。しかしそれにも負けない笑顔は見る人を元気にさせるだろう。
「おう、お疲れさん」
 諸角の方を見もせずに挨拶を返したのは佐倉一朗だ。定年の近い見るからに叩き上げといった堅物刑事で、仕事人間で有名である。常に仕事をしており、いつ家に帰っているのかわからない。
 今も書類に向き合っているようで、興味にかられた諸角がそれを横からのぞき込む。
「何の事件ですか?」
「自殺だ」
「佐倉さんが凶悪犯罪事件以外のものを!?」
 諸角のオーバーなリアクションに佐倉は一瞬疲れた顔をしたものの、手元の書類を叩いて説明しだす。
「自殺は自殺でも妙な自殺だ。女子生徒が通っている高校の屋上から飛び降りたらしい。ただ、高所から飛び降りたにしては出血量が少ないってんで解剖にまわされてんだ」
「そうなんですね……あ、お茶入れてきます。もう少し詳しく聞かせてください」
 佐倉は嫌そうな顔をしたが特に否定もしない。室内にはいつの間にか捜査員が増えており、すっかり朝のいつもの風景といった感じだ。各々が好きなことをしたり、担当の事件についての確認をしている。事件の対応で昼夜等ないようなものだが、こうして一日が始まっていく様子を見るのは悪くない。
 佐倉がそんなことを考えていると、その平穏な空気を破るように勢いよく刑事課の扉が開かれた。開かれた扉からは例の自殺女生徒の解剖に立ち会った刑事が書類をにらみながら首をかしげている姿が覗いていた。
「例の高校自殺か。何があった」
 佐倉が問えば、彼はハッとして視線を移す。そうして一度言いにくそうに目線をそらしてから、観念したように話し出した。
「死因は転落して外傷を負った際の出血性ショック死で間違いないそうです。頭蓋骨にも落下した際についたと思わしき外傷が確認できました」
 佐倉が続きを促すようにうなずけば、刑事は眉間のしわを深くして言葉を続ける。
「ですが現場からは死に至るほどの量の血液は確認できませんでした。衣服が大量に吸収した可能性も考えて遺体の来ていた服も調査していたのですが、その……」
 刑事は言い辛そうに口ごもる。手元の書類を見直して今一度首をかしげる彼に、若干イラついた声で佐倉が口を開く。
「なんだ、ハッキリ言え」
「それが……衣服から脳の成分が検出されたそうです」
「衣服から?」
「はい。血液のついている部分からは当然検出されたのですが、その他の部分からも大量にだそうです」
 佐倉が顔をしかめる。刑事も眉間のしわをさらに深くして言葉を続けた。
「それと、これが一番奇妙なのですが……」
 
「遺体から脳が消えていたそうです」

CASE001-02

ラーメン屋

違法薬物「開眼」事件
07/01
12:00

 時刻はお昼。昼ちょうどに食事がとれる人間は東京では珍しいが、そんなことは関係ないとばかりに柊鬼署から颯爽と出て来た姿がある。警視庁捜査一課からここ柊鬼警察署に派遣されてきた澄田月尾だ。プライドの高いキャリア組である彼は当然のように署内で食事等しない。何故なら馬鹿にしている所轄の人間と同じステージに立たされるようではなはだ不愉快だからだ。
 そんな風にしてひとりで歩いていると、後ろから陽気な声がかけられる。
「どうもー、警視さんもお昼ですか?」
 振り返ってみれば、そこには麻薬取締官の羽良有記の姿があった。本庁でも何度か遭遇したことのあるこの男が、見た目より油断できない人物であることを澄田は知っていた。
 付き合うとろくな目に合わない。そう判断した澄田は羽良を無視して交差点を渡ろうとした。しかし信号は無情にも目の前で赤になる。まあまあと言われながらそのまま流れるように近所のラーメン屋に誘導された澄田は、結局しぶしぶ二人で飯を食うことになったのであった。
「何故俺がこんな場所で……」
「良いじゃないですか、ここおいしいってんで結構柊鬼署の連中も来るらしいですよ」
「余計不愉快だ」
 澄田の眉間のしわがより深くなる。それに笑顔を返しながら備え付けのテレビを見ている素振りをして羽良が口を開いた。
「澄田さん、”開眼”って知ってます?」
「宗教の勧誘なら帰るが」
「あれ、澄田さんも同じ案件で来てるのかと思ってましたけど」
 そう言われて澄田は記憶を探る。自分がこんな辺鄙な場所に来た理由といえば確か……。
「ああ、あの噂か」
 ここ数か月、柊鬼区の水面下でしきりに話題にされている薬物があるらしい。なんでも曼荼羅のような見た目の錠剤で、服用すれば凄まじいトリップが出来るのだとか。
「そう、そういう名前なんだそうですよ」
「……それならそうと言え」
「あはは、その様子じゃほとんど知らないみたいですね」
 羽良の口ぶりにますます澄田の機嫌が悪くなる。それを横目で笑いながら羽良は言葉を続ける。
「なんでもキメると見えるらしいですよ」
「何が」
 羽良がテレビから澄田の瞳にまっすぐ目線を移す。瞬間、周囲の音が消える。

「”楽園”が」

 羽良の瞳に澄田の顔が映っている。いつもは自信に満ちていたはずのその顔が、なんだか妙に頼りなく感じた。
「なので、お互い”仲良く”しましょうね」
 いつの間にか周囲に物音が戻ってきている。不思議な感覚に眉間のしわをより深くすれば、羽良がおお怖いとおどけた。同時にラーメンが運ばれてきて、羽良が笑顔でそれを受け取る。
 ニュースの自殺報道が妙にハッキリと聞こえた。

CASE001-03

夜の街

柊鬼区連続失踪事件
07/01
17:45

「困るよお~、何も言えないんだってば!」
「そこを何とか!お願い!!」
 柊鬼署の前で男女が問答している。片方のふくよかな男性は柊鬼署の職員である望月八千男だ。もう片方の派手な見た目の女性は朝田きらこ。オカルト雑誌の記者でなにかと柊鬼署に絡んでくる迷惑な存在だった。
「だあって、おかしいじゃないですか!ここ最近の失踪者の数って異常ですよ。しかも柊鬼区だけだっていうじゃないですかあ。ぜえったい何か隠してるでしょ!吐いて!!全部吐いて~!!!!」
 そう言われて望月はただひたすら困っている。というのも失踪者が多いのは事実なのだが、皆自発的に消えているようで事件性が薄いのだ。事件性が薄ければ他の凶悪犯罪に人員が回されるのは自然な流れなため、今現在はほとんど調査が進んでいない状況だ。とどのつまり、吐けるような情報がなにもないのだった。
「も~困るってば。飴あげるから帰ってよお」
「わあい!飴だあ!ありがとうございます!」
 朝田は素直に飴を受け取った。しかし飴をくわえて更に食い下がる。
「はっは~ん、わかりましたよ」
「さては宇宙人ですね?宇宙人がこの柊鬼区に来ているんでしょ。違いますか?」
「そんなわけないでしょ!」
 望月の悲鳴に近い声があがる。さっきからずっとこの有様である。
 他の職員は不運にも朝田に捕まってしまった望月に曖昧な微笑みを投げかけてさっさと去っていく。経験上知っているのだ。この手の連中に捕まると長い、と。
 望月が悲壮な顔でどう逃げようか思案していると、突然朝田のスマホが鳴る。どうやらメッセージを受信したようだ。朝田はそれを手早く確認するとぱっと顔を上げてあっさりと告げた。
「そうですね。今日はもう遅いんで、じゃあまた明日!」
「ふえ?」
 そういうと風の様に去っていく。後にはきょとんとした顔の望月だけが残された。
「な、なんだったんだろう……まあいっか」
 やれやれとため息をつきながら望月は飴を抱えて署内に戻る。
 薄暗くなっていく窓の向こうに、ぼんやりと月が浮かび始めていた。

INFORMATION

昼の街

捜査情報
蓮臥峰高校怪死事件
●蓮臥峰高校
 平均的な私立高校。進学に力を入れており成績優秀な生徒が多数いるが、それなりに大きな学校ゆえ反対に不良まがいの生徒も多数いる。
 
●遺体
 月乃 沙夜(つきの さよ)/16歳/女/158cm/高校2年生。
 朝通勤してきた教師によって発見された。校庭の校舎にほど近い場所で仰向けに倒れており、屋上からはきれいに揃えられた彼女の靴が発見された。遺書は発見されていない。
 衣服や肌から脳の成分が検出。解剖により脳が消えている事が判明したが、落下の際についたと思しき外傷以外は検出されなかった。
 死亡推定時刻は深夜2時頃。
 内向的で友達が少ない。数か月前に両親が離婚しており母親に引き取られていた。

●遺族
 沙夜の母親以外は遠方にいるため連絡が取りづらい。母親(月乃 咲/つきの さき/38歳)はホステスをしているため夜間は聴取できない。沙夜を仕方なく引き取ったお荷物だったと言っており、特に悲しんだり愛情があるそぶりはない。
 
●生徒
 ・普通の生徒
  素行の好い生徒から悪い生徒まで様々。
  月乃と特別親しかった生徒はあまりいなかったそうで、知っていそうな人物を聞くと森見と朋枝、梁肚の名前を挙げる。
  
 ・森見 朔(もりみ さく)/16歳/女/155cm/高校2年生。
  月乃の親友で気弱な少女。月乃の死に大きなショックを受けており、刺激しすぎるとパニックになる。
  月乃の死について何か知っている様子だが、容易に口を開きそうな感じではない。
  
 ・朋枝 硝子(ともえ しょうこ)/17歳/女/160cm/高校2年生。
  物知りな文学少女。月乃とは図書委員で一緒だったらしく、何度か相談を受けていたらしい。
  高嶺の花といった様相で、月乃の事を聞くと悲し気に話す。
  
 ・梁肚 湊(やなはら みなと)/17歳/男/178cm/高校2年生。
  品行方正、容姿端麗、文武両道な生徒会長。月乃とは生徒会で一緒だったらしく、月乃の片思いの相手。
  物腰柔らかで大人とも対等に会話ができる。月乃の事を聞けば残念そうに口を開く。
  
●その他
  近隣住民から話を聞くなど自由に行動できる。

●関連NPC
 諸角麻衣:高校や高校生への聞き込みで走り回っている。高校周辺で見かけることが多いだろう。
 佐倉一朗:現場の状況を調べたり等広範囲に動いている。署内で見かけることが多いだろう。

違法薬物「開眼」事件
●「開眼(かいげん)」に関する聞き込み等
 開眼は一般的な麻薬と似たルートで流れているらしい。同じようなルートを追うことで見えてくるものがあるかもしれない。
 なお囮捜査は警察官には許可されていないため、羽良が独自に行うようだ。現物はいまだに確保されていない。

●その他
 非公式な囮捜査等自由に行動できる。非公式な行動をする際は上司にバレないように動かないと現在の立場が危険になるかもしれない。
 
●関連NPC
 ・澄田月尾:聞き込みを中心に情報収集。街中で見かけることがあるかもしれない。
 ・羽良有記:囮捜査を行うようで、柊鬼区のアンダーグラウンド中心に行動している。

柊鬼区連続失踪事件
●失踪者の家族に聞き取り
 家庭はまちまちで、失踪者を心配している家族もいればそうでもない家族もいる。聴取に行けば皆それなりに失踪者のことを話すだろう。いくつか集まれば共通点が見えてくるかもしれない。
 
●朝田きらこと取り引き
 それっぽいオカルト話を話すと、交換で今知っている情報を教えてくれる。ちゃらちゃらしてはいるが、その情報にはある程度信頼がおけるはずだ。
 失踪事件に関してどうやら何かをつかんだらしいが、何か特別なメリットを提示できなければ教えてはくれないだろう。

●その他
 その他聞き込み等自由に捜査が出来る。

●関連NPC
 ・望月八千男:柊鬼署内で失踪者の書類整理をしている。彼に言えば関連書類は全て閲覧できるだろう。
 ・朝田きらこ:何かをつかんだらしく、柊鬼区最大の繁華街をウロウロしている。

CASE001-02-RESULT

柊鬼区路地裏

違法薬物「開眼」事件
07/02
10:00

 捜査本部での情報共有は比較的あっさりと終わった。そうして皆がそれぞれの行動をし始める頃、特徴的な癖毛がデスクの間で揺れている。それは本庁組のデスクの傍で止まると勢いよく屈みこんだ。
「藤警部!麻薬ってどうやって手に入れるのでありますか?」
「は?」
 突然声をかけられた藤季稔はその端正な顔を一瞬崩す。しかし瞬時に表情を戻し、そういえば先程の開眼捜査会議に目の前のいる癖毛の持ち主――雛田日和の姿もあったことを思い出した。
 彼らは今、ここ柊鬼区で密かに流通しているという違法薬物「開眼」の調査に着手した所だった。捜査指揮をとるのは本庁から来た澄田月尾警視。それにマトリの羽良有記が協力していた。
「一般的な違法薬物の入手方法でしたらお教えできますが、首を突っ込むなら羽良係長の指示を仰ぐようにしてくださいね」
「もちろんであります!アドバイスをお聞きしに行く予定でありますよ!」
 違法薬物、いわゆるドラッグは基本的に違法組織が出どころであることが多い。中毒者を作り出して資金源にするのだ。それゆえそういったものに興味のある人間が集まる場所を取引の場にするのが一般的なパターンだが、最近はドラッグの見た目もカジュアルになっておりいたちごっこが続いている。
 そのような説明をすると、雛田は真剣に頷きながら聞いていた。そうしてアドバイスを聞いてくると言って元気よく羽良を探しに行く。
 残された藤はあきれたように軽くため息をついてその後ろ姿を見送ると、流れるように先程隠したウィンドウを開いた。
 そこにはずらりと捜査員の機密情報が並んでいる。本来ならば上層部しかアクセスできないような内容だったが、藤にしてみれば造作もないことだった。
(さて、と……)
 経歴、家族構成、過去の事件――当然のように全てとはいかなかったが、あらかたの情報は手に入れられる。
(怪死事件、失踪事件、そしてこの違法薬物事件……どの指揮系統にも特に大きな問題はないな。普通の経歴だし黒い噂もない。家族構成も普通か)
 自然な動作で調べ終えると、軽く息を吐く。
(柊鬼署内部には特に異常はなさそうか。ただ……)
 データのローカル保存作業をしながら考える。
(殉職率や離職率がやや高いな。それに細部がなんだか妙だ)
 所々とってつけたような文面が目立つ。まるで真実を隠しているかのように。
 ふと本庁で聞いた噂話を思い出す。
 良いものが引き合うように、悪いものも引き寄せ合う。そしてこの世のものならざる恐ろしいものも。
「オカルト事件ね。妙な展開にならなければ良いですけど」

13:00
 捜査員の大半が捜査に出かけた署内では藤、愛染、山吹等本庁の指揮系統に慣れた人員が多く残っていた。情報整理や根回しなどの細かな仕事をするためである。
 開眼事件以外の事件解決に動く刑事から少し離れた場所。そこでは集められた情報を藤が整理していた。その近くで同じようにパソコンに向かいながら愛染大我は情報を調査している。こちらは過去に捕まった薬物関連の容疑者や密売人のリストを中心に調査を進めていた。同時進行で違法薬物の密売人の所持品等からデータを洗い出してはいるものの、その結果は芳しくなかった。
「過去柊鬼区やその周辺では特に開眼と同様の薬物を取引した痕跡はなさそうだな」
 その言葉に画面から目線を話さずに藤が答える。
「そうですね。現場から上がってくる情報を総括すると、どうやら最近出て来たもののようです」
「そういったものは古いものの名前を変えて繰り返し流行るものだと思っていたが、全く新しい薬物なのかもしれないな」
 マトリが公式に動いているということは、現物は確保されていないものの実在は確認されているのだろう。もしくは実在する可能性が限りなく高いか。
「噂自体は普通のドラッグに聞こえますが、こればかりは現物が確保されるのを待つしかないですね」
 そんな話をしていると、部屋から山吹七重が出ていく姿が見える。思わず藤が声をかければ彼女は微笑んで振り返った。
「そうね、少し”お茶”をしてくるわ」
 向かった方向を確認して、藤と愛染はうなずいた。
 この事件で今間違いなく情報を握っている人物は彼なのだ。
 
14:00
「お時間いただきありがとうございます、羽良さん」
 柊鬼署付近の喫茶店。大型チェーン店であり、いつ行っても人でごった返している。木の葉を隠すのなら森の中。人を隠すのならばこれ以上うってつけの場所はないだろう。そんな中で山吹と羽良は向かい合ってお茶をしていた。
「いやあどうも。こんな美人とお茶が出来るなんて光栄です」
 お互い笑顔だが、その奥には様々な思惑が隠れている。するとけん制するように羽良が先に口を開いた。
「でも貴方が思っているほど上は本気じゃないですよ。俺はね、アレですよ。様子見って所かな」
 のんきな顔を作って目の前に置かれていた珈琲をすする。
「まあ、随分とのんびりなのですね。そうしていられるほどあちらのお行儀が良ければよいのですけれど」
 にこやかな笑顔で山吹も返す。
「そうですねえ。でも荒っぽく行くほどじゃないというか、情報の出どころがですね。少し奇妙なもんで」
 世間話のようにお互い朗らかに会話を続ける。
「奇妙ですか」
「ええ、なんでも骸骨の証言なんだとか」
「骸骨?」
 少し驚いたような顔で山吹が返す。およそ現実主義らしい目前の男からは出てこないような単語だ。
「そんな訳で、俺に一人で様子を見てこいって話です」
 それに苦笑しながら羽良は続ける。
「一応ですが保険はかけてあります。今はまだ何とも言えませんが人手不足なことは確かなので」
「でしたら連携も大切ですね?あちらからも双水さんを人手として寄越せないかと思いまして。一度きちんとご挨拶させてくださいな」
「考えておきます」
 いかにも社交辞令といった様子で羽良が微笑む。それから少し考えた素振りを見せてから珈琲を置いた。
 ことり、とカップを置く音がやけに大きく聞こえる。
「万が一俺からの情報が途絶えた時は港を探してください。その場合、後のことはお任せします」
 羽良が立ち上がってカップを手に持つ。ではまた、と口にする彼を見送ってから山吹は苦笑した。
 骸骨とドラッグ、なんともちぐはぐな取り合わせだ。
 だからこそ、どうにも嘘をついているようには思えなかった。
 
違法薬物「開眼」事件
07/05
11:00

「なあにが、成果も多い方がいいでしょう?だ、あの女……」
 澄田月尾は柊鬼署内にあるひとけの少ない自販機の前で悪態をついていた。というのも、先程の山吹との会話が頭にきて仕方がないのだった。
「所轄の人間なんぞ俺の言う通りに働いてりゃ良いんだ。評価だって俺の評価さえ上がれば構わん。他の連中なんぞ知ったことか」
 ぶちぶち文句を言いながらお高めの缶コーヒーを開ける。しかしそれをあおる前に横から声がかけられた。
「ああ、こんな所に居たんですね」
 声をかけてきたのは源深愛だった。澄田がそちらを嫌そうに見ると、先程の澄田の文句が聞こえていたのかいないのか涼しい顔で「気になることがあって」と言葉を続けた。
「単なる違法薬物ですから 捜査人数も必要無いのでは。 MDMAや覚醒剤とは違う新種だったりするんですか?」
「どうだろうな」
 歯切れの悪い言葉に源が続きを促すと、しぶしぶといった様子で澄田は口を開いた。
「お前も知っているだろう。開眼の現物は確保されていない。噂では既存の薬物と大して変わらなさそうだが、正体がわからん以上初めから侮ってかかるわけにもいかない」
「それにしては捜査員の数が多いと思いますけど」
 露骨に嫌そうな顔をして澄田は横目で源を一瞥してから返事をよこす。
「知ったものか。ただ、しいて言うなら開眼がこの区内だけで流行っているからだろうな。知っているか?柊鬼区にはオカルトの話題が多いんだそうだ。そのせいで辞める人間も多いんだとよ。馬鹿馬鹿しい!」
 そういうと手に持っていた缶コーヒーを一気にあおる。後から数度むせると源に向かってキッと顔を向けて吐き捨てる。
「お前はそんなものに感化されるなよ。本庁の人間が捜査の場にオカルトを持ち出したと知られたら俺まで恥ずかしい目に合う」
 じゃあなと捨て台詞を吐くと澄田はそのままゴミ捨て場に缶コーヒーの空を投げ捨てようとするが、上手く入らず源の足元に転がっていく。
「そうすね。気を付けます」
 微塵もそんな事を思っていない顔で答えると、源はそのまま澄田の方を見向きもせずに去っていく。
 それをとてもつもなく嫌そうに顔を歪めて見送ると、澄田も缶コーヒーの空をゴミ箱に入れて反対方向に去っていった。
 
14:00
「捜査のノウハウ?」
 廊下の壁を背にきょとんとした顔で羽良が立ち止まっている。その目の前にはキラキラした顔の雛田といつもと変わらぬ無表情な源が居た。
「はい!それに、麻取が潜入捜査を行うって本当でありますか?」
 本職の方がどんな捜査をするのかお話を聞いてみたいであります!と詰め寄る雛田にさすがの羽良も気圧されて後ずさる。
「はは、潜入捜査っていうか囮捜査ね。いかにも麻薬を買いそうな人間のふりをしてそういう所で情報収集をするんだ。そしてあわよくば現物を手に入れるなり売人を確保するなり出来たら良いって感じかな。君たち刑事はこういうのしたことないから新鮮か」
 交番勤務から刑事になったばかりの雛田からしてみれば、何もかも初めて目にすることばかりだ。当然のようにマトリと合同捜査をすることも初めてで、何かと興味が尽きない。
 その隣ではキラキラした顔で羽良にぐいぐい詰め寄る雛田を興味深げに源が眺めている。助けを求めるように羽良がそちらを向けば、頷きながら源が口を開いた。
「雛田さんの様な前向きさは事件解決には大事だね。良い。良いよ」
 その顔は相変わらずの無表情で何を考えているのかはわからない。しかしなんだか楽しそうにも見える気がする。
「だけど麻薬事件は甘く見てしまうと、もう自分が使ってた……みたいな事にもなるかんね、互いに気を付けよう」
 それに勢いよく頷いて返事をする雛田の横で、今度は源が羽良に質問する。
「開眼についていくつか聞きたいんですけど、いいすか?」
 助かった、とばかりに羽良が源の方に向き直りもちろん、と頷く。
「まず、薬の効果や後遺症はわかってるんですか」
「それが、わかっていないんだ」
 源の横で雛田がきょとんとして首を傾げた。実在する証拠……たとえば被害者がいるからマトリが動いているはずである。それをそのまま口にすれば、羽良は少し考えてから口を開いた。
「今のところ本当に噂だけなんだよね、開眼っていうのは。ただその噂が広まり方がなあ。なんていうか……妙に情報が少なくて」
 羽良は肩をすくめて続きを口にする。
「ある程度まで追いかけると、ぷつりと足跡が消えちゃうんだよね。こういうのに手を出す人間が行方不明になるのは珍しくないんだけど、ただの一人も見つけられないとなるとさすがに異常だよ」
 それに今度は源が頷く。
「確かに妙っすね。薬物の情報なんてボロがいくらでも出そうなもんですけど。ってことは、開眼の柄についてもわからない感じですか?何種類あるのか気になってたんすけど」
 情けなさそうに羽良は眉を下げて笑う。
「そうなるね。わかってるのは曼荼羅みたいな柄らしい、って噂だけ」
 横でおとなしく聞いていた雛田が同じように眉を下げた。
「それじゃどんどん被害者が増えてしまうでありますね……」
「そうなんだよね、規模がわからないから怖いというか」
 羽良はえへん、と軽く咳払いをする。気を取り直し、目の前の雛田と源を交互に見た。
「そんなわけで、君たちに協力を仰いでいるわけだ。くれぐれもよろしくな」
 いつも通りの笑顔でそう告げると、羽良は人に呼ばれて去っていく。
 残された雛田と源も同じようにその場を後にするが、普段賑やかな雛田が随分とおとなしい。そうしてなにやら考えている素振りを見せると、勢いよく雛田が源を振り返る。
「では雛田はここで!」
 そういって勢いよく走り去っていった。源はその勢いに何となく「よからぬことをするんだろうな」と思いながらも無表情で見送った。そして一瞬思案してから先程の場所に引き返す。
 
 戻ってみれば、羽良がスマートフォンを確認して何やら考え込んでいた。その横顔に声をかける。
「羽良さんは楽園を信じます?」
 その言葉に羽良が顔を上げる。その顔からは何も読み取れない。
「いいや」
 源が言葉を続ける。
「その有名な開眼、近くに体験した人とか居るんですか?」
 羽良が笑顔になる。作ったような顔だ。
「居たとしても、言わないよ」
 そうっすか、と答えるとあっさりと源は踵を返す。その背に向かって羽良が言葉を紡ぐ。
「君は?楽園が本当にあったらどうする?」
 
「あるんなら見てみたいよ。俺は」

 嘘はついていない。しかし本当でもない。
 捜査しているくせに信じていないのかもしれない。
 そう直感的に感じた。

17:30
 本庁から持ってきた差し入れ「行列の出来るおいしいお菓子」と引き換えに尾羽切、司山、渡らの柊鬼区の各地域に詳しい捜査員から治安が悪かったり何かと麻薬と縁のありそうな地域の情報を入手した八咫穂。彼は今柊鬼署の笹賀仁一志を道案内として周辺捜査に乗り出していた。
 所持しているウェアラブルデバイスから現時点での情報を藤から共有すると軽くため息をつく。
「そっか、ありがとう。それじゃ引き続きよろしく」
 それを横から聞いている笹賀仁が軽い様子で声をかける。
「藤警部の方はどうだった?」
「まだ有益な情報は集まっていないそうです。本当に噂レベルの話ばかりらしい」
 藤の管理するウェアラブルデバイスは希望する捜査員全員に配布されており、それにより円滑な情報共有が行われていた。すでに様々な方面で聞き込みが進められており、それらの情報が集まりつつあった。しかしいっこうに有益な情報が出てこない。
 八咫と笹賀仁も同じで、さんざん歩き回ったがそれらしい情報は得られていなかった。
「今日はここが最後になるかもしれませんね。何か知っていてくれるとありがたいんだけど」
 そうして立っていたのは開店前の小さなスナックのカウンター前だった。八咫が他区の知人から紹介されたこのスナックは、小さいが地元民から愛されて細く長く生きながらえていた。笹賀仁も何度か訪れたことがあり、治安は決して良いとは言えないが集まる人間は地元に根差す人間が多い。
「そうだといいけど……あ、ママさんお久しぶり」
 奥からバイトに呼ばれた店主が出てきて、笹賀仁を見て少し顔を綻ばせる。
「あらあ、随分お久しぶりね。で、そちらの色男さんは?」
「俺みたいな場末のオッサンの案内で連れまわされているかわいそうなオニーサンかな」
「どうも」
 効果音が出そうな笑顔を店主に浴びせれば、まんざらでもない調子で店主が笑う。
「まあ~!ここいらじゃめったに見ない男前ねえ。有難いわあ、目の保養だもの。それで、ドラッグのお話だったかしら」
 少し居住まいを正して店主は続ける。
「残念だけど、このへんじゃそういった噂はあんまり聞かないわね。お客さんからも聞いたことないわ」
「うーん、そっか……」
 店主は一段声を低くして少し言い辛そうに続ける。
「それに、今の柊鬼区でそういう話を聞いて回るのはあんまり良くないかもしれないわ」
「どういうことです?」
 八咫の言葉に眉間へシワを寄せてから彼女は答える。
「最近柊鬼区に他所の組が流れ込んで居ついちゃったみたいなのよ。聞いたことない名前だったから小さいとこなんだと思うけど……そのせいで何だかちょっと揉めてるらしいのよね。シマやシノギがどうのとかで……」
 その言葉に八咫と笹賀仁が顔を見合わせる。
「その組織の名前なんかはわかりますか?」
 八咫の言葉にやや考えてから、店主は口を開く。
「そうねえ、確か波羅磯組だったかしら」
「はらいそぐみ?」
「はらいそ……パライゾ、ねえ」
 顔を上げた笹賀仁の目に”楽園”と書かれた酒のラベルが映った。
 
違法薬物「開眼」事件
07/09
13:30

「まさか麻薬捜査官様とはね」
 喫煙室で一人煙草をふかしているのは夜火清香だ。彼は状況開始前に個人で動いていた。しかしいずれも芳しい成果は得られていない。
「常用者どころか副作用までわからんとはな。依存患者を量産して生かさず殺さず搾り取れないならただの毒、誰がこんなもんで儲けたがる?」
 片手でスマートフォンを操作しながら考える。見慣れた電話番号が画面に映っていた。
「向こうもどうやらフラれたか。だが間違いなく何か知ってるんだよな。あの顔は」
 
「人数が多いと怪しまれるから、だそうです」
 見慣れた番号の主、双水次郎佐は開口一番そう言った。それを横で聞いている夜火は適当に相槌をうってターゲットに目をやる。マトリから来たという男、羽良有記の長身が遠くに見える。
「妥当な断り文句だな」
 事前調査や対面で話した限りでは特に怪しい素振りはない。開眼についてもとりたてて目立った情報は得られなかった。羽良との同行も断られた。となれば、あとは現地で探すしかない。
 羽良は繁華街のひとつ裏の路地を1人で歩いている。見たところ部下の姿は見られない。夜火と双水の二人も繁華街で目立たないような恰好をしており、気取られぬよう通りを違えて尾行していた。お互い藤が捜査員に配ったはずのウェアラブルデバイスはつけていない。つまり非公式な捜査だった。
「今のところ収穫はなし、と」
 ここ数日、羽良が取引の行われていそうな場所に立ち寄るのを尾行し続けていたが傍から見る限り特に収穫はなさそうだった。
「ただ、スマートフォンを確認する頻度が高いですね。どこかと連絡をとっているのかもしれません」
「本部と連絡をとってるって訳でもなさそうだがな。……?」
 夜火がサングラス越しの目を細める。その先では羽良が通りの角を曲がった所だった。
 見えなくなる前にと急いで追いかける。するとその先には巨大で空虚な建物がそびえていた。
 大きな廃ビルだ。いや、ほとんど廃墟というべきかもしれない。階段の手前には郵便受けがついており、その中にはいくつか新聞が入っていた。新聞の入っている郵便受けには”良久土診療所”という文字がついているのだけがかろうじて読める。
 双水がそれを確認していれば、背後から夜火の声が聞こえる。
「そこで何してらっしゃるんで?」
 その声に双水が振り向く。
 振り向いた先では踊り場から更に先へ進もうとする羽良と階段下の夜火が向かい合っていた。双水は向こうに顔が見えないようにそっと角度を変える。
 羽良は双水の方向を一瞥すると、夜火に向き直る。
「探し物かな」
「探し物ねえ」
 とぼけた調子で夜火が答えれば、羽良は笑って返す。
「肝試しに来たんだ。なんでも化け物がいるらしい」
 羽良から見れば見知らぬ夜火の姿は薬物の売人のようにも見えるだろう。慎重に言葉を選んでいる様子だった。
 それを知ってか知らずか夜火は一歩踏み出す。
「楽園が見たいんだ」
 顔は笑っているが、サングラスで目元は見えない。
「そうか、それなら良かったな」
 そのまま踵を返して夜火へと向かって来る。
 夜火と双水の間を通り抜ける際にぽつりと一言こぼして歩み去る。

「”アレは確実にいる”んだそうだ」

18:00
 鑑識部屋にはまばらに人がいた。そのうちの何人かは机に向かって唸っている。
 黒迫昇亮もその一人だったが、いつもまとっている飄々とした雰囲気は全く崩れていない。しかし机に向かってひとり首をかしげていた。
「それにしても、ひとりの被害者もいないとは」
 机の上に広がっているのは薬物中毒の資料だ。てっきり開眼服用における中毒死の遺体がマトリか本庁から回ってくるだろうと考えていたのだが、一向にその気配がない。業を煮やして話のついでと澄田に聞いてみれば、苦い顔でそんなものはないと言われる始末。
「被害者がいないのに捜査本部ができるんか。おかしな話」
 しかし不確かな噂だけでマトリはともかく本庁までもは動かないだろう。何らかの証拠があるはずだが、澄田の反応を見る限り彼は何も知らないのだろう。何か知っているとすれば羽良の方だ。
「マトリが動くような証拠ねえ。考えててもしょうもないか」
 そういうと黒迫は立ち上がり、奥に向かって出かける挨拶をする。
 そう、腹が減っては戦が出来ぬ。どうせ考えるのならば近所のおいしいラーメン屋で考えようと思いついたのである。
 机に手をついた拍子に薬物中毒の資料が崩れて机の上に広がった。この柊鬼区では変死体には困らない。しかしここ最近は薬物中毒者の遺体は運ばれてきていなかった。
 
 無い、が、ある。確実に。
 
 見えていないだけなのかもしれない。

 しかし何故?
 
20:15
「なんだか妙ですね」
 自らのデスクで情報整理をしていた早清孝がぽつりとこぼす。早は蓮臥峰高校怪死事件と違法薬物「開眼」事件、その両方の情報整理を担当していた。というのも柊鬼署は基本的に人気がなく、元から捜査員が少ないのだった。
「何がですか?」
 そこに偶然通りがかった清岡安吉が声をかけた。彼は本庁から来ていた捜査員だったが、基本的には柊鬼区で起きている連続失踪事件の方を担当していた。
「ああ、柏岡警視からの情報が妙に多いと思いまして」
「柏岡警視というと、あの監察官の」
 柏岡十与は監察官というだけでなんとなく緊張感があるが、普段のフランクな振る舞いから自然と気が抜ける相手でもあった。
「あれ?でも確か他の方と同じように聞き込みを担当されているんですよね」
「そうなんですが、他の捜査員と比較してやけに開眼の情報が多くて。そこまでアクティブなかただとも思えませんでしたし」
 それに苦笑いで清岡が返す。確かに署内の女性職員があの人ナンパ男に見えるのよねだのなんだの言ってたなあと思い出してふと気づいたように顔を上げる。
「そういえば若者中心に聞き込みをするって言ってた気がします。こういったものは若者が主体になやすいですし、そのせいなんじゃ」
「若者……」
 そう言いながら早はもう片方の事件の資料を手に取る。若者が自殺したという事件だ。無関係かもしれないが、狭い区内で少しでも関連性のある事件があれば気にはなる。
 合同捜査も提案すべきかもしれない。しかし佐倉と澄田が協力できるだろうか。
 だが何かが気にかかる。何か、見えていないものがあるような。
 
「点と点が繋がるなら……それはどんな絵図になるのでしょう」

違法薬物「開眼」事件
07/17
10:10

「本当に皆知ってるなあ。なんでだろう」
 大通りを歩いている柏岡十与は明るい声でそう呟いた。
 若者を中心に聞き込みを行っていた柏岡だが、そのほとんどが開眼のことを知っていたのだった。噂程度のものから知人がやっているらしいというものまで様々で、しかし現物を持っているものはひとりもいなかった。
「それに何だかやけに高校生が多いねえ」
 柊鬼区内の学校の制服は大体把握している。偽物の制服をおしゃれで着ている若者もいたが、それはそれですぐにわかる。
 妙に蓮臥峰高校の生徒からの情報量が多いのだった。
 本来薬物とは縁遠そうな雰囲気の学生まで知っている。半分都市伝説のようになっている開眼の噂は虚実入り混じったものが多く、それゆえ比較的若い層に噂が広まっているというのは道理だ。しかしそれにしても多い。
 大きな高校だから偶然都市伝説のたぐいとして蓮臥峰高校で流行っているのかもしれない。だが、体感としては違っていた。
「まるで噂の発生源が近くに居るみたいだ」
 学生、あるいは教師の中にわざと噂を広めている人間がいるのかもしれない。そう思えるほど多かった。
 蓮臥峰高校では別の事件が起こっているはず。その事件にかこつければ学内での聞き込みもできるだろうか。
「若い子の間で広まってるんだったら囮にするのは子供みたいな子の方が良いだろうね」
 どうしようか、と笑顔で考える柏岡の視界にふっとここ最近で見慣れた横顔が映りこむ。
「そう、ちょうどあんな感じの」

10:20
 歩みに合わせて少し長めのスカートがふわふわと舞う。夏にしては着込みがちに見えなくもない可憐な服装は、少しあか抜けない少女といった雰囲気をうまく作っていた。
 「ぴよ!『開眼』を手に入れるのでありますよ!」
 柊鬼署職員雛田日和はその日聞き込みで得た情報をもとに潜入捜査をしていた。スカート姿で。
 前のめりなその捜査姿勢はポジティブな意欲から出るものだったが、ドラマ的刑事の活躍に対する憧れもまた含まれていた。
 何故わざわざ女装なのかというと、密売関係者の警戒心を弱めるため且つ警察関係者に遭遇した際自分の正体を隠すことが出来るだろうという計算からだった。
 それは思った以上に功を奏したようで、今のところ特に見咎められてはいない。しかし当然というべきか長く続くはずもなく、あえなく肩を叩かれた。
「どうも。良い趣味してるな」
 そう声をかけられて振り返れば、そこには苦笑した羽良の姿があった。
「!?ど、どなたでありますか?」
「どうせ一人ぐらいは出るだろうと思ってたから隠さなくて良い。俺も言わないし」
 そうして周囲から見えないように耳元に口を近づけてささやいた。
「丁度良い。ちょっと協力してくれよ」

00:25
「寝てる?」
「寝てます」
 パソコンにかじりついて情報整理をしている藤の横で、香りの薄い清涼飲料水を飲みながら愛染が顔をのぞき込んでいる。多くの捜査員は藤が用意したデバイスをつけて捜査しに行っていたが、中には頻繁に”忘れる”刑事もおり、内心非常にいらだっていた。
 情報の糸が正しく繋がらなければ、いざ立ち入り捜査となった時に正式な許可の下りない可能性がある。刑事といえど公務員だ。それなりの公的な手続きは踏まなければならない。  それでなくても危険な捜査なのだ。ひとつ情報がかけているだけで死に繋がらないとも限らない。
 それを補うためにも藤はこうして常に情報に目を光らせているのだが、こうも軽んじられるとさすがに腹も立つ。
 そのいらだちがそこはかとなく外に出ており、捜査員の何人かを怯えさせているが、同じく情報整理を担っている愛染が良い感じに緩和していた。
「結局マトリからも情報提供は断られたしな」
「厳密に言えば核心は言っていない、といった感じでしたね」
 捜査本部での一番最初の会議で羽良からは大まかな情報を伝えられた。しかしあくまでそのような噂が流れているから調査してほしい、といった程度のものだった。それだけではマトリや本庁は動かないだろう。
「信用できると思いますか?」
「どうかな。信用しすぎずに泳がすのが一番に思えるけど」
 それにいまいち返す言葉が思い浮かばず、藤は画面を見つめる。画面の上には大量の情報が羅列され、しかしそのどれもが核心には至っていなかった。それを眺めていると道のりの長さを否が応でも自覚させられる。
「……コンビニ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 愛染は藤の仕事を引き受けると、よろよろと部屋を出るその後ろ姿を見送った。
 以前休憩時間に個人のスマートフォンでSNSやネット記事などで開眼について調べたことがある。SNSでは何件かヒットしたものの、真偽のほどは定かでないものばかりだった。しかし何かがそこに隠れている気配がした。
 ごちゃ混ぜに組み合わされた複雑な絵巻。どこかにある何かの意図。
「あの噂、別の話が混ざって出来上がった「誰かの創作話だった」ら、嫌だな」

違法薬物「開眼」事件
07/20
12:05

 ここ柊鬼区では凶悪事件や奇妙な事件が多い。それゆえに刑事部屋には時々殺伐とした空気が流れるものだが、それを緩和する存在もいる。
 お昼時にカレーの良い香りと共に部屋に入って来たのは早だった。自前のエプロン姿は妙に決まっており、こうした兵站に慣れた気配を感じる。
 捜査員の中には食事をとる時間さえ捜査に費やす人間がいるため、こうして食事や軽食を用意することもよくあることだった。早は積極的にそれらを担っており、普段は軽食が用意されていることが多かったが今日はカレーのようだった。
「この間のゲソ跡出たわ。お、今日はカレーか」
 全くの別件で偶然刑事部屋に来た黒迫がいち早くその存在に気付く。
「よかったら黒迫さんも食べていってください」
「そしたら遠慮なく」
 黒迫をはじめ幾人かの捜査員がカレーをよそい始めると、早が振り向いて奥の方のデスクに声をかける。
「本庁の方もどうぞ、話のタネに」
 本庁から来た刑事の何人かが振り向いて、時計を確認するなどする。しかしその中の一人、澄田は鼻をならしてせせら笑う。
「ふん、媚びを売るならもっと上手くやったらどうだ」
「はあ」
 早が頭に疑問符を浮かべていると、澄田の横で山吹が嬉しそうに笑顔で手を叩いた。
「そうね、時間もないしご相伴にあずかりましょう」
 その言葉を皮切りにカレーへと人が集まってゆく。澄田も非常に嫌そうな顔をしながら誰かから押し付けられたカレーを受け取っていた。一人パソコンの画面を見つめて残る藤に早が目線をやれば、藤はゼリー飲料を手に持って。
「お構い無く……」
 と声を出す。明らかに空腹そうだった。
 しかし隣の席の愛染が戻ってくると、カレーの誘惑に負けたのか画面を愛染に任せてふらふらとカレーをよそいにいく。
 玉ねぎをめちゃくちゃに取り除いて肉をごっそり盛っている藤の後ろ姿を横目に、カレーを食べながら誰ともなく事件の話になる。
「結局まだ開眼の現物って見つかってないんすか?」
 源が口を開けば横にいた黒迫がそうみたい、と返す。
「聞き込みは進んでるらしいんだけどね。被害者も運ばれて来ないしどうなってるのかサッパリ」
 少し離れたデスクで愛染が補足する。
「聞き込みで得られる情報はほとんどが伝聞だ。使用者にはまだたどり着いていないらしい」
 それを聞いて澄田が露骨に嫌な顔をする。
「無駄な行動が多すぎるんだろう。まったくお前らはこれだから……」
 嫌味が続きそうな雰囲気を山吹が言葉を重ねて続ける。
「使用者が居ないということは、わかっていて隠れているということかしら」
 それに黒迫が頷きながら言葉を返した。
「案外あるかも。まるで消えちゃったみたいに遺体が出てこないんで」
 一連の話を聞いていた早がカレーをじっと見つめながらぽつりとこぼす。
「噂の出どころなんですが、どうやら若者の間で流行っているそうです
」  顔を上げて続ける。
「先日女子高生の変死体が出たそうですね。最近は行方不明者も多発していますし、何かあるんじゃないでしょうか」
 しん、と静まった空気にカレーを盛ってきた藤が後ろから言葉をかけた。
「早合点は禁物ですよ。使用者は不明、流通経路も不明ですが、流しているらしき組織は浮かんできているようです。今日の報告会議で出るかと」

13:00
 中程度の会議室で澄田がホワイトボードの前に立っている。様々な報告が上がる中、八咫と笹賀仁が指名されて席を立った。
「開眼を流している可能性のある波羅磯組ですが、どうやら関西を追い出されて来た連中のようです」
 八咫が背筋を伸ばして報告を続ける。
「関西で縄張り争いに負けて東京に流れて来た比較的小さな振興組織でしょう。後ろ盾や他組織との関わりがほとんどなく、力業での立ち入り捜査は十分可能に思えます。しかしその分事前に外部からの情報があまり得られない現状です」
 それを補足するような形で笹賀仁が言葉を続ける。
「柊鬼区に腰を落ち着けたのもごく最近みたいですね。そのせいで元からいた組と少し揉めているみたいです。なんでも荒稼ぎをしているとか」
「荒稼ぎ?」
「何かを闇市場で流しているらしいんですけど、それが何かはまだハッキリしなくって。でもなんていうかな……どうもクスリを流して稼いでる感じじゃないんだよな」
 八咫が頷きながら補足する。
「薬物をメインに扱っている組織とはあまり関わりがないそうなんです。どうもターゲット層がかぶっていないようで」
 その言葉に柏岡が手を挙げる。澄田が促せばゆっくりと立ち上がり、普段とあまり変わらぬ軽さを装って言葉を紡ぐ。
「その件ですが、もしかすると子供がターゲットなのかもしれません。ちょうど高校生ぐらいの」
 あれからも聞き込みを続けたが、やはり目立った情報は得られていない。しかし調べれば調べるほど明らかになっていくこともあった。
「高校生、特に蓮臥峰高校の生徒からの情報量が随分と多くてですね。あの高校を中心にクスリがばらまかれているのかもしれません」
 それを聞いて澄田が露骨に眉を顰める。
「だが高校生から搾り取れる金額なんぞたかが知れてるだろう。高校生なんぞにクスリをばらまいて何のメリットがあるんだ」
 とにかく各々捜査を進めるように、という澄田の一言で場はお開きになる。
 
 何かが起こっている。
 
 そんな見えない気配が室内に充満していた。
 
17:20
 「本当にこんな場所で取引が行われているでありますか……?」
 羽良に案内されて雛田がやってきたのは女子高生が集まるような繁華街のポップな飲食店。原宿めいた場所で、羽良は何か店員に交渉していたと思ったらすぐに出て行ってしまった。一人残された雛田は落ち着かなげに二人掛けの席にぽつんと座っている。
「(もしかして、ていよく追い払われたんじゃ……)」
 男性にしては低めの身長や妹の服を借りてきたこと、それに童顔もあって見た目はほぼ普通の女子高生と変わらない。
 しかしさすがに女子高生の入るような店に単独で入るのは成人男性としてあまりないことだ。いわゆるゆめかわといったドリンクを両手で持ちながら落ち着かなげにキョロキョロと周囲を見回してしまう。
 しかしそうしていると、ふと何かが視界に入る。端の席にいる少女たちが何やらラムネめいたものを見ているのだ。
「これこれ、ユッコの部屋にあったやつ」
「何これかわい~!超カラフルじゃん。ラムネ?」
「知らね~けど。そもそも食べれるのかなこれ」
「食べちゃえば?まずかったら吐けばいいじゃん」
「確かに。てかユッコどこ行ったんだろうね。既読無視やばくね?」
「え~?彼氏でもできたんじゃね?」
 極彩色のピンク色をしたそれは一見してラムネのようなお菓子に見えるだろう。しかしよく見れば複雑な模様をしており、それは何だか……。

「それ!自分にも見せてもらえないでありますか」
 
 曼荼羅のように見えた。
 
違法薬物「開眼」事件
07/31
13:00

 ジワジワと蝉の声が響いている。
 開眼の発見と同時に捜査本部には捜査員が集められた。しかしその中には居るべきはずの姿がなかったのだった。
 羽良と連絡がとれない。ウェアラブルデバイスはもちろん、スマートフォンの位置情報まで機能していない。心当たりのある場所は全て確認したが、それでも見つけられないといった状況だった。
 そんな騒然とした捜査本部を横目に、開眼捜査とはほぼ無関係な双水と夜火は例のビルに来ていた。羽良を目撃したあのビルだ。
「居ますかね」
「さあな」
 夜火が煙草をもみ消す。アスファルトと埃っぽい匂いが強くなり夏が本格的になっていく気配を感じる。
 
 ビル内部に足を踏み入れて見れば、ふわりと夏草の香りがした。どうやら回廊状になっているようで、中央に吹き抜けが存在する。吹き抜け下部は庭になっており、荒れ果てた草が生い茂っていた。
 看板にある診療所は3階の一角にあった。扉は手前に引けば難なく開く。
 鍵がかかっていない。
 夜火と双水は目配せをすると、双水が先陣を担って室内に入り込む。
 一歩踏み入れた瞬間、むせかえるような香りがした。
 消毒薬の匂い、埃の香り、それに。
「血の匂いがします」
 部屋数は少ない。受付、診察室、そして何も書いていない小部屋。ほとんどの香りがその小部屋からしていた。
 十分に警戒しながら小部屋の扉を開ける。すると熱風とむせかえるほどの香りが鼻腔を打った。
 そこは手術室だった。
 一般的な病院に比べれば圧倒的に汚い。しかし最低限の衛生管理はしているのか、最近まで使われていた形跡があった。
 道具はきれいに整頓されており、それゆえに手術台の上に転がされているものが異質に映る。
 細長い、筒状の何か。
 もう一歩踏み入れて見れば、開いた扉の隙間から光が入り込み、ようやくそれが何なのかわかった。
 それは人だった。
 衣服を着たまま胴体が開かれており、中身がごっそりとない。頭部は開かれており脳はやはり同じようになかった。その顔は驚いたように目が見開かれており、何か異質なものを目撃したかのように歪んでいた。その顔はつい最近見たもので間違いない。
 羽良有記だ。どこからか侵入してきた蠅がその濁った瞳に止まる。足元のゴミ袋が風でカサカサと音を立てた。
 どう報告すべきか考えていると、背後からふと、何かの音がした。
 声だ。しかしそれは――。

「   」
 
 ひどく懐かしい、自分を呼ぶような声だった。
 まるで楽園から響いてきたかのような甘い声。

 振り返ってみれば何もない。
 ただ蝉の鳴き声だけが響いていた。
 
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